現代の指南書 – 吉田松蔭から学習の姿勢を学ぶ


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先日、久々に家の近くの松陰神社に参拝しに行ってました。
吉田松蔭は明治維新を起こした方々を教えていたとてつもない方で、
30歳にして亡くなられました。
しかし、今でも松蔭中学校や高校が存在しています。
僕の出身校でもある同志社を創設した新島襄と似たような匂いを感じます。
そんな松蔭の言葉が神社にも散見されたので、いくつかご紹介できればと思います。

一日一字を記さば一年にして三百六十字を得、一夜一時を怠らば、百歳の間三万六千時を失う。

まさに学び続ける人、つまり仁の状態の君主であることが見受けられます。
以前に「1週間で2つのアウトプットを〜」の下り書きましたが、
松蔭はそうではなく毎日学び続けなさいと教えていたとのことです。

たしかに人は毎日何かしらの影響を受けたり吸収するものが少なからずあるはずです。
ただ、「今日は何を学びましたか?」と自問する機会もなかなかないので明言化して自分が成長したと言えないのも事実だと思います。
現代の社会人に置き換えると、日報がそれに近しい気がします。
自己を振り返り、人の行動を振り返り、それを持って明日に活かす。
そのサイクルが確立されていれば常に学び続けていける気がします。

禅の「挨拶」とは少しニュアンスは異なるかもしれませんが、問い続ける姿勢はどの時代や宗教などでも共通なのかもしれません。
(挨拶についてはコチラから)
つまり、人は本来生きていく時間軸で問いを続けていく生き物なのかもしれません。
その中で学べるのが人間なのかもしれないですね。

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万巻の書を読むに非(あら)ざるよりは、寧(いずく)んぞ 一己(いっこ)の労を軽んずるに非ざるよりは、寧んぞ兆民の安きを致すを得ん。

意味は
「たくさんの本を読んで人間としての生き方を学ばない限り、後世に名を残せるような人になることはできない。
自分がやるべきことに努力を惜しむようでは、世の中の役に立つ人になることはできない。」
になります。

この言葉だけではあまり効能がないとも感じています。
松蔭はずっと言い続けていることがもう一つありました。
それは「志を立てて以って万事の源となす」です。
つまり、「何事も志がなければならない。志を立てることが全ての源となる」と、そういうことです。

学んだり、努力できるのは志があるからだと思います。
その志がなければそもそも何を学べばいいのか、どれだけ努力すればいいのかがわかりません。
だからこそ、志に重きを置き、解いていたのだと思います。
その結果、明治維新が起こり日本が変わったのだと思います。
日本として、そして今の時代としてどう変わらなければいけないのかの志をもった人間を増やす。
それが松蔭の志だったのかもしれませんね。

ちなみにですが松陰神社のホームページに語録があるので、興味がある方は覗いてみてくださいー!
吉田松陰先生語録